伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

ゲームとのエンカウント

ピコピコ、ガチャガチャ、バキューン。昔ながらの効果音とはなんともそそるものです。

1983年に任天堂から「ファミリーコンピューター」通称ファミコンが登場してから今年で34年。僕がギリギリ生まれていない年に革命的なハードが発売されました。

そこから数年経ち、僕がゲームというものに初めて触れたのは友人の家ででした。ファミコン版星のカービィだった気がします。齢4歳くらいだったかな? 幼稚園のときでした。

 

目を輝かせるとはこのこと。まー食いつきが半端なくゲームに対する情熱はこのときに芽吹いてしまったのでしょう。

そのまた別日、友人宅でスーパーファミコンのマリオワールドをプレイし、現在に至るまで入れ込み度に差はあれどゲームというものに触れ続けていられるのは、その幼稚園時代の経験がルーツになっています。

 

漫画ハイスコアガールでお馴染みの対戦型アーケードゲームには一切触れておらず、だいたい家庭用ゲーム機ばかりをやっていました。

初代ゲームボーイ(1989年発売)を買ってもらったときは夢中になっていまして、白黒の画面中における躍動感や、スピーカーから流れるメカニカルキーボードのクリック音に似た癖になるレトロなサウンドに酔いしれておりました。

 我が家にスーパーファミコンがやってきてから(いとこのお下がり)は、スーパードンキーコング2にドはまりしていましたね〜。

その時代のゲームって難易度がかなり高めに設定してあったんだ……と、大人になって振り返る人も少なくないはず。

 

当時は普通にゲームを楽しんでプレイするという、至極まっとうな価値観で画面と向き合っていたのでしょうが、そうした純粋な気持ちが難易度をもろともしないプレイスタイルの栄養分になっていたのかもしれませんね。

 

難しかったけれど、とりあえず全クリしましたもん。

 

それに素敵なBGM(どげとげタル迷路なんかほんとに良曲ですよね)がゲームの世界を盛り上げてくれるとなればおもしろさも倍増。ドンキーがキャプテンクルールに拐われてディディーとディクシーが助けに行くストーリーであるスーパードンキーコング2。当たり障りのないストーリーと言ってしまえばそれまでですがおもしろいゲームにストーリー性だけを求めるのもナンセンス。

 

いろんな要素が融合してヒット作が生み出されているわけで、ただゲームをしていた純粋な気持ちに陰りが見え、うがった見方をするようになってくるお年頃になってくると知ったゲームがゲームの体をとった別物へと変化してしまう。何故か年を重ねるとストレートなもの見方をせずに回りくどくなってしまうのは、誰しもが受け入れなければいけない部分なのかもしれませんが、しかし原点回帰したくなってくるのも大人の性という奴ですかね。

 

ドンキーコングシリーズの系譜は結構複雑で元祖は1981年にアーケードゲームとして稼働しました。

ゲーム&ウォッチ版やファミコン版など様々な場で活躍していたようですが流石にその時代のことは詳しくわかりません。

もしも原点回帰とするのならば僕の中でドンキーコングはスーパードンキーコング2なのですが、おかしなことにスーパードンキーコング(初代)は2を全クリした後にプレイしたんですよね、確か。

 

ナンバリングタイトルは順番に進めていかないと気が済まない性格の僕からすると考えられない所業です。

たまたま2が友人間で流行っていたからはじめに手に取っていたのかもしれません。おまけに、プレイ情景として鮮明なのは明らかに2のほうなのでとりあえずやってみる? みたいな勢いで2→1に移行した気もします。

 ただ、スーパードンキーコングもスーパードンキーコング2もスーパードンキーコング3も幼心にも強烈な印象を抱いていた作品であるのは間違いなく、おもしろいのは3作品ともフラッシュバックポイントが違うところでしょうか。

 

同名シリーズではあるけれど、中身が違うんだから当たり前だろ! と、言われそうですが1はキングクルールと戦っているドンキー&ディディーが、2はステージの難易度の高さに奮闘しているディディー&ディクシーが、3はバナナバードを集めているディクシー&ディンキーが思い浮かぶのです。

 

バナナバードって(笑)

 

おもしろさはそれぞれの作品でありますが、スーパードンキーコングシリーズはやりこんだせいもあってか今振り返ると、大人特有の不純物混じりの目線で見えてくるものには、反省に似た特殊効果が現れている感じがします。

当時の純粋さと比較しても大きくは違わず、おもしろかったと素直な感想を残すことができるのも、きっとコングたちのおかげなのかもしれません。

 

久しぶりにドンキーやってみたいなぁ。