伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

危険なエンカウント

高校生活最終日である3月31日の翌日、僕は金を賭けに行った

よく言いますよね、高校3年の3月31日までは高校生だからな! って。

卒業式はとっくに終わっているのに進学組にとっても就職組にとっても入学入社するまでのこの期間は、おそらくは気休めの長期休暇だったはずでは? 長期と言うほどではないかもしれませんけれど、次のステージへ行く準備期間としては期待や不安が小躍りして気持ちの安定しない時間だったのではないでしょうか。

僕に準備期間はいらなかった。

 

そう、パチンコホールに入るのに準備期間もためらいもありませんでした(笑)

3月31日には決意を固めていたのでしょう。

 

バイト代数万円を握りしめ、未知のステージへと足を踏み入れてしまいました。当時地元に大型ホールが新装開店し、ちょうどその頃に高校卒業が被っていたのでカモがネギ背負ってあの自動ドアを通過しまったのは必然と言えます。

 

昼前くらいにホールへ向かい、入店と同時にど素人の僕がゲーセンなどで見知っていた「海物語」に座り敗北を味わうまでに要した時間は、バイト勤務時間の半分にも満たなかったと思います。

 

俗にいう、ビギナーズラックというのは僕には訪れてくれませんでした。

 

諭吉が天に召される感覚はこのときに知り、この異様な投資の奴隷になるのはいやはや、早かったのです。

 

止まない投資に苛まれ、マゾ体質でもないのにいつしか癖になってしまい、これは勝利を収めるための仕方ない投資なんだ! などと、自分に言い聞かせる養分モデルケースの基礎は3月31日の翌日、奇しくも出来上がってしまいました。

そしてパチンコはこの後数回打ったのを最後に二度と触っていません。

 

スロットに移行したからです(笑)

 

こちらもよくありがちな話で目押しのできない僕に友人がついて打ち方を教えてくれ、そのときにまさしくビギナーズラックと遭遇。黄熱病などの研究で有名な英世さんが描かれた日本銀行券が学問をすすめた諭吉さんの銀行券に早変わりしてしまったのです!

 

当時アルバイトしていたコンビニは他のコンビニよりは時給が高く不満も何もなく楽しく働いていたのですが……1日分の給料を優に越えるほどの金額をものの数分で手にしてしまいました。

 

少し専門的で興味のない方には意味がわからないだろうかと思うのでご了承いただきたいのですが、あの頃は4号機と5号機が入り混じる、いわゆる4号機末期と言われる時代で知識のない僕にとって周りの状況なんて理解できてませんでした。

 

スロットに関する細かいことを理解し始めたのは目押しができるようになって1人でもうちに行くようになってからなのですが、そんなことどうでもよかったんです。

 

短時間でこんなに金が! と理解できて、いや、理解してしまったのが自分のエンカウント史上最大の出来事だったと言っても過言ではありません。

 

未知との遭遇でした、ホント。お金が縦横無尽に動いてるというギャンブルの世界がスリリングすぎて未成年だった僕に確かな衝撃を与えたのです。

 

バイト以外でも、突き詰めれば働かなくても遊んで金が稼げるんだ! そんな風に脳が覚えてしまってからというもの、お金に対する価値観は徐々に変化してきました。

現実は甘くないのに。一時の快感のために、脳内麻薬が分泌するあの瞬間のためだけに自分を納得させるトリッキーな技に関しては一流と言ってもいい。

 

他人を何かに誘ったり、ギャフンと言わせることはできもしないのに、自分を拐かし、欺き、首肯させるのは楽勝。ものすごく黒い泥土が原料の土台はこのときに完成してしまったのかもしれません。

今でこそ単なる趣味の一つとしてスロットと向き合うことができていますが、一歩間違えれば無間地獄のごときループ性を帯びた中毒症状が出てしまう……結局のところ、機械制御された台と勝負するのではなく己と継続率をかけた戦いに挑み、全勝する勢いでなければ趣味はもんものの毒になってしまう——と、今こうして振り返ってみて初めてわかるのです。まあ、なんだかんだいい勉強だったけれど。

 

なんでも、ほどほどにってことですね。

 

スロットはまだまだ好きですが、この好きは前の好きとは違ったものになっているのをわかってきただけでもプラス収支と言ったところでしょうか。

そのうち思い出の台とか、最近の台について記事を書いてみようかな。