伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

神社参拝の例、または、霊

参拝作法云々ではない

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本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。

 

前回、前々回とFFについて書いたので、今回は一呼吸。

大人になってからできた趣味、「神社」について少々語っていこうかと思います。

 

日本人にも馴染み深い神社の、別角度からの見解を。

 まず、神社仏閣という言葉があって日本の侘び寂びが残る歴史的建造物の多くを指します。

 

千利休が茶室でカタカタやっていたであろう光景を想像してみましょう。

時代が時代とは言え、茶室でお茶をたてるシーンはなんとも和みます。

 

金閣寺を足利氏が建立したとき、輝きは今と違うのでしょうが豪華な仏閣としての象徴になっていたんだろうと思います。

 

しかし、神社はどうでしょうか。

 

何かを祀るとか、鎮めるとか、華やかな東照宮などはありますが表と裏の顔は違う気がしませんか?

 

神社の境内で遊ぶ子どもたちの図は、しばしば昔ながらの和やかな風景として語り継がれていますが、神社で遊ぶって結構勇気がいるんでは? と、僕は考えます。

 

神社は神様を祀っているところ。

遊び場ではなかったはず。

 

でもその神様に守られている場所であるからこそ、子どもたちが安心して遊べるという解釈もあり得ますが、詳細は僕のもしも論くらいでしか計れません。

 

もしも神様に守られている場所で、夕方までワイワイ遊べるのなら、こんなに平和の良き1コマを表すことはありません。

 

僕としては、そうであって欲しいのですが。

ちょっと、守られているだけではないんですよね……

 

魑魅魍魎が跋扈する時間

 

神社とは霊場でもあるわけです。

神様を祀っているにしろ、バケモノの鎮圧のため造られたとしても、人間には見えない系の何かを奉っている。

 

見えない。

 

これは、ある種の詐欺ですよね。

 

見えないものを祀っているのが神社で、そこにあるのは御神体。

触れる(実際に御神体に触れるのはタブーです)固体としての象徴は、存在感あれど同時に威圧感もあります。

 

見えないものを祀ることによって、昔の人々は豊作や無病息災を願った。

奉り、見返りを求めるのは神頼みというやつですがすべての願いを叶えるのは神様とて、キャパオーバー。

 

ゆえに、夕方以降の時間に関しては、何かしら噂や災いをたてて、人の往来を制限したのではないかと思うのです。

夕暮れ時って、人間以外のものがうろつく時間帯でもあるんですからね。

犯罪が起きやすいのも薄暗いとき。

 

まさか御祭神たちが、人を寄せ付けないために犯罪者や魑魅魍魎を派遣していたとしたら、修羅のごとき所業ではありますが、どんなに辛いことがあれ、修行だ試練だ言うのが代々の習わしみたいなもの。

 

真っ暗闇。

丑三つ時に藁人形を打つ、超有名な丑の刻参りが現代においても行われているのが、信仰の表れでしょうか。

確かに、丑の刻参りにしろ、五穀豊穣にせよ、無病息災にせよ、大願成就にせよ、何かを信じているわけですよね。

 

その何かが違うだけで、静まりかえった真夜中に白装束なんか着て外に行ったり、犠牲を払って供物を捧げ、見返りを求めてしまうのが神頼み。

 

神様も都合の良い願いを聞き入れてくれるほど暇ではないかもしれないし、自分だけを見て欲しいという参拝者の我が儘を受け入れてくれるかは、正直微妙なところ。

毎日足しげく神社に通って賽銭を入れ、鐘を鳴らし、柏手を打つ流れを行ったとしても願いが成就するかの保証はありません。

 

結構、保険みたいなもの日本人は好きですよね。

生命保険にしろ火災保険にしろ、家財保険にしろ。

保険はまさしく保険なので、もしものときに備えて加入するもの。他人に勧められたからと言って、それは単に営業トークの受け売りで、入りたくもない保険に付き合いで入ってしまったから、誰か道連れにして気持ちの共有を試みたり。

保険を保険以外の意味で捉えてしまうような、少々ひねくれた考えもあります。

かといって、車の任意保険に入らない人はほとんどいない。

自分にとってより身近かそうでないかが、ポイントです。

毎日車を運転するなら入ってないと怖いし、ペーパードライバーならそうでもない。

 

すいません、脱線しました。

 

独自の参拝作法

 

つまり何が言いたいかというと、賽銭は神頼みへの保険みたいなものということです。

非常に罰当たりな思想かもしれませんが、これしきのことでキレる神様なんていないでしょう。

いちいち罰当たりめ! みたいに漫画のような展開になっていったら、神様が忙しすぎる。

そんなちっぽけなことはスルーする器のでかさと、全てを知る強さを兼ね備えているのがそもそも神様という存在。

 

二礼二拍手一礼の手順で参る前に、手水舎(てみずしゃ、ちょうずや)で身を清める。

どこの神社でも大体この参拝方法なのは周知の通りなのですが、僕は手水舎に対して少し気になるところがあります。

 

神社も言ってしまえば商売で、慈善団体なわけではないので経営・運営が必要になってきます。

 

お守りを買うとき、スーパーやコンビニのように「何円です」とは言わず、「何円お納め下さい」と、神職の方々はおっしゃいます。

でも、これは日本銀行券を使ってやりとりをします。

 

だから言い方どうあれ、お金は動いているわけです。

 

と言うことは、光熱費が払えるw

否、払わなければなりません。

 

手水舎の水を節水するあまり、1滴2滴しか蛇口(龍の口から水が出てくるタイプ多いですよね)から出なければ、参拝する前にえらい時間がかかってしまいます。

出るならまだいいほうで、地方の神社に行くと水が出てなかったりしますからね。

最悪、手水舎なかったりw

 

年々神社への参拝客は減り嘆いていると聞きますけれど、だからこそ手水舎の整備はしっかりして欲しいというのが僕の意見。

初詣だけじゃないんですよ、神社行くのは。

神社に魅力を感じているからこそ、出勤前とか休日とかにふらっと参拝する僕のような人間もいるのに。

 

販売業的に言えば、参拝のチャンスロスですよこれは。

 

日本には風情あり、歴史あり、感動ありの素晴らしい神社がたくさんあるのだからもっと周知されていくべきだと思います。

 

魑魅魍魎が跋扈していない、夕方前までを狙って参拝すれば神聖な神社の空気感を味わえるはず。

 

ちなみに僕の参拝方法は、マニュアル通り(笑)と言えばマニュアル通りなのですが、柏手を打ち祈るとき、無心になることです。

手を合わせ、次の一礼までの間は何も願いません。

何も望まない、あなたが御利益をくれるならください、というスタンスです。

 

賽銭は願掛け保険で5円。

賽銭用がまぐちも常に用意していますw

 

神様は忙しい。

だから僕は、ご都合の付く時間帯に御利益を与えてくだされば、それでいいかな、くらいの心構えで神社へ足を運んでいます。

 

いろいろ願っても、最終的に叶えるのは自分ですしね(^^)