伝説の経験値を求めて 

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【犬報】柴犬が幸せに暮らせるためにできることとは何か

生類憐れみの令のザル感

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本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。

 

今回は、最近猫カフェにお邪魔してきたのをきっかけとして、夢の「柴犬ランド」建設に向けて動物記事を書きたいと思います。

 

柴犬は幸せを運んでくれる由緒あるワンちゃんです。

 

まあ、IDにshibainuが入っているように、単に僕が柴犬大好きだからご託並べたいだけですがw

 まずは、生類憐れみの令について、こちらをご覧ください。

生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)は、5代将軍綱吉(つなよし)によって出された法令です。「犬公方」とあだ名が付けられ、悪政といわれた、この生類憐みの令。

 では、生類憐みの令について少し詳しく見ていきましょう。

 生類憐みの令を出した徳川綱吉。彼は、本来将軍になるべくしてなったのではありません。4代将軍家綱(いえつな)には、子供がいませんでした。そこで選ばれたのが3代将軍家光の四男、綱吉です。

 綱吉は、学問好きの将軍とも言われ、前半の政治については「天名の治(てんなのち)」として称えられています。しかし、彼を補佐していた大老・堀田正俊(ほったまさとし)がなくなった辺りから様子がおかしくなっていきました。

 綱吉は、男子に恵まれず悩んでいました。そこで、彼の母親、桂昌院(けいしょういん)が薦める僧侶の話に耳を傾けます。

「綱吉さまは前世で殺傷したから子供ができないのです。これからは、動物を大事にしなさい。さすれば、子供ができることでしょう・・・と。」

 それが、綱吉の出した極端な動物愛護の精神を強制する生類憐みの令を出した理由だと言われています。(このお坊さんの話は作り話だという説も多いのですが・・・)

 この法令により、綱吉が戌年であった為に犬は特に大事にされ(綱吉は100匹もの狆という種の犬を飼っていたとも言われている)、さらには小動物の殺生までもが厳しく禁止の対象となりました。

 

出典元:生類憐みの令とは

 

動物を殺してはいけない法令くらいにしか思っていませんでしたが、占い的な理由も含んでいるんですね。

 

僧侶とか出てくる時点で、昔の人たちって信心深いですよね、ホント。

将軍になるべくしてなったわけじゃない綱吉とは言え、偉い人が確実性のない話を信じてしまうんですから。

 

憲法ならぬ犬法でしょうかw

 

生類憐みの令は動物全てに対して適応されるみたいなので、当時の人々の苦労が伺い知れますね。

 

時代が時代だからと言えばそれまでなのですが、文面だけ見ればホントに悪法です……。

 

柴犬のフォルム

 

タイトルの柴犬ですが、読み方は「しばいぬ」です。「しばけん」は意味は問題なく通じますが、正式には「しばいぬ」。

なんかしばいぬと呼んでいたら、昔より益々、柴が好きになってきたのですが、件の生類憐みの令をもってすると手放しに柴犬好きも喜べないところ。

 

柴犬はその系譜をたどると縄文時代からになるようで、まさしく由緒ある日本犬です。

生類憐れみの令が発令された頃にも、柴犬(今の柴犬とは違うかもしれませんが)は四つ足で日本の地面を踏みしめていたことでしょう。

 

共通の大前提として、柴犬のみならず日本語をしゃべる動物は存在しません。

彼らにしかわからない言語で会話は成立しているのでしょうが、犬→犬はあっても人間→犬、犬→人間には、達人ばりのボディランゲージを駆使したとしても意味は通じませんよね。

 

犬や猫は日本語はしゃべれないが、主人の言わんとしていることはわかっているらしいです。完全にではないにしろ、言葉にして伝えられないだけの話で感情はあるわけですね。

こちらの意図も伝わっているからこそ、犬ならばお手やお座りができる。

 

しかしこの理論には、盲点があります。

答えが、ありません。

 

生類憐れみの令がまかり通っていた頃だって同じです。

別に犬猫をはじめとしたアニマルたちが、嘆願書を提出し可決された法案ではありません。

綱吉の風水的見知によって、動物たちがだしにされたに過ぎない。

要は、利用された形になった動物たちは手厚く保護を受けることになったけれど、そういうのを求めていたかどうかさえ不明。

 

言語の壁は高く高くそびえ立ちます。

 

綱吉の命で、はじまった。

ただ、それだけの「生類憐れみの令」。

 

その頃の、柴犬たちは幸せだったのでしょうか。

その時代に犬や猫を飼うという選択があったのかはわかりません。

ただ現在2017年よりは遙かに多くの動物たちが、そこら辺を歩いていたのではないでしょうか。 

 

柴犬のお座りポーズ。

あの神々しいフォルムが露わになった、伝説のモフ感はたまりません。

 

しかし柴犬のフォルムを愛す前に、昔の人は綱吉はじめ役人ポジションの人間の顔色をうかがい、我が身を愛す必要があったため、犬相手に自らお座りのポーズをしたかもしれない。

 

法で縛られたのは、人間も動物かもしれませんね。

 

時を経て21世紀。今、私たちができることは

 

日本で搾り取られる税金の種類は数多あれど、動物の生存数は年々減少していっています。

今回は、柴犬についての話なので他の動物くんたちは置いておくとして、空前のペットブームが近年到来していましたね。

柴犬に至っては、海外のスターたちが愛してやまないとかニュースで拝見しました。

 

柴犬のかわいさが、海外に伝わるのはとても嬉しいことです。

ただ、柴犬も生き物。

残念ながら寿命があります。人間よりもだいぶ短いですが、彼らの時間軸は人間と異なるので、天寿を全うしたと言われる年齢にさしかかるころには、飼い主と自分の愛も相当なものになっているはず。

 

清潔な家屋、栄養バランスの考えられたドッグフード、キレイな水、ストレスを与えない散歩、犬用の服。

これらをすべての飼い主が実行しているわけではなりません。

しかしこの条件は、綱吉が生きていたであろう時代には考えられないことです。

 

ドッグフードに似たものはあったかもしれませんけれど、今のように栄養価の高いものではなかったでしょうし、それこそ残飯を好きに食べていたかもしれない。

服なんて着物を着ていた時代に、もっての外でしょう。

 

現代にも動物虐待をする人間は大勢います。よく、ニュースになりますよね。

あれは感情論で申し訳ないのですが、最低だと思います。生類憐れみの令がなくても、虐待や殺生はやってはいけない。

 

一部の人間の心ない行動が、多くの動物好きの心を痛めてしまう。別段、動物好きじゃなくてもいい気はしないでしょうが。

 

でも、ふと考えてみると。

マジョリティは、動物を愛でるほうです。

 

21世紀に生類憐れみの令はありません。

あがめるまではいかないまでも、溺愛し周りが見えなくなるほど飼い犬に夢中な人が多いと思います。

 猫だってそうでしょう。

 

生類憐れみの令がなくても、動物たちを大切に扱っているのが今の世の中です。

柴犬が世界から消える日は、ひょっとしたら何年何百年何千年後にきてしまうかもしれませんが、歴史は上書きされていきます。

 

というより、進化していきます。

柴犬だって21世紀に入って、20世紀に思っていたことと違う考えを持つようになっていて、柴犬会では革新的なアイデアを持っているかもしれません。

 

しゃべれないだけで、大昔から生活している彼らには、僕たちの知り得ない歴史を見ていて、教えたかったりして。

 

と、日々柴犬に対して他の犬種そっちのけの大いなるロマンを抱いているのですが、賃貸住まいの僕はペット飼えません……。

 

柴犬から数百年前のロストテクノロジーを教えてもらって、秘密結社でも設立したいところなのですが、ちょっと今の技術では難しいので、誰かに現代の財力で柴犬ランドを作ってもらって一日中モフりたい次第ですw

 

これは幕張あたりに建設しても、いい勝負できるんじゃないでしょうか。

僕にとっての夢の国。

行ってみたいw