伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

あのときの母親はどこを見ていたのか

子育て未経験者の接客技術

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本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。ゲシバイヌと申します。

 

今回は以前の記事で書いた、社会人なりたての頃に、出会ったクレーマー男性の話に関連する内容になりそうです。(なりそうですってw)

 

 

www.degensetsu.com

 

つい最近起こった、印象に残っている出来事にフォーカスしていきたいと思います。

 

今から数週間前の話でした。

平日だったと思います。

 

仕事をしていると店内で「ママーママー」とうろちょろしているお子様がいらっしゃいました。

実際そういう場景は日常茶飯事で、大抵は親御さんが近くにいて、慣れた手つきでなだめています。

 

中には、大声で泣きわめき怒られているお子様や、走り回り注意されているお子様も。

 

こういうのは、どこの現場であれ起こりうること。デパートだって、遊園地だって、飲食店だってそうです。

 

以前は、泣き止まない赤ちゃんに腹を立てた男性客が原因で、僕は嫌な気分になり周囲のお客様まで不快にさせてしまいました。

 

職場は小売店で規模が狭いわけではなく、当然ながら当時のカフェとではスペースの違いが顕著。

 

僕は結果的に、またしても自分の未熟さを痛感させられました。

 

僕の目にはスマホ片手に会話している女性客と、うろちょろしているお子様は無関係だと映っていたのです。

 

あまりにも、他人に見えたと言うことです。

 

実はスマホを片手に会話をしている女性客と、うろちょろしている男の子は、親子だったらしいのです。

 

確かに、それなりに近くにはいたのかもしれないのですが、退店時にその事実がわかったときには、僕は唖然としてしまいました。

 

なんで、子どもを自分の下へ呼び寄せないの?

 

なんで僕は、それに気づけなかった?

 

他人の振りがうまい接客術

 

そんな事案があったとしても、基本的に親の元へ子が帰れば、それで終わり。

買い物をしにきただけのお客様に、とやかく子どもについて指摘するのも間違いでしょう。

 

しかし、他人の振りをするどころか周囲に紛れ込んで、まるで隠れ蓑でも着ているかのように、さしずめスマホが忍術のツールであるかのように、平然としている女性客は理解しがたかった。

 

じゃあ、あのとき僕がスマホでバリヤを張っている彼女に声がけしていれば良かったのかと言えば、それもまた違うはず。

 

放っておくのも、1つの接客術であると仕事をしていく内に学んできたスキルではありますが、果たしてあのときの子どもを放置したのが正解なのかと問われれば、僕は即答できない。

 

あのとき僕は、仕事をしていました。

このケースを日常の業務に入り込んだ、ちょっとしたエラーだとするのなら仕事をしている以上、仕方のないことなのかもしれません。

 

あのとき、子どもが探していたのは母親ではないのかもしれません。

だって目の前に母親はいたんですから。

 

ただ、呼んでいただけと気づいたのは、親子が退店していった後でした。

 

子が親を呼ぶのは、自然界でも同じです。

獣と言われている動物たちも、総じて自分だけの力でこの世に生を受けることはできません。

 

オオカミは遠吠えをします。

あれは、仲間に自分の存在を伝える手段であるほかに、「呼ぶ」という誰でも認められている行為をしているに過ぎません。

 

あのときうろちょろしていた子どもは、ただ自分の親を呼んでいただけなんです。

 

それをアシストする必然性は、僕にはなかったのかもしれませんが、何かできることはなかったか、と考えてしまいます。

 

帰り際まで他人の子

 

結局僕は、親子を無言で見送ることしかできませんでした。(接客用語のありがとうございましたは言いました)

 

最後まで母親はスマホを離しはしませんでした。

スマホでの通話が悪いわけではありません。僕だって誰だって電話はしますしね。

急を要す話をしていたのかもしれませんが、談笑している声が聞こえていたのでおそらく日常的な会話かと思われます。

 

親の後を付いていく子が、目の前の母親から一時でも他人のように扱われているのはやはり不憫でした。

 

子どもがなんとも思っていなくても、一店員である僕が何かを考えてしまうのだから、お節介かもしれませんが、可哀相と見ていました。

 

カフェで働いていたときと比べれば、成長していると自負していただけに、親と子が絡んでくるケースに遭遇してしまうと、弱い。弱すぎました。

 

最後の最後まで親子関係があるとわからなかったという、言い訳がましい理由もあります。

 

ただ、どこか悔しかったんです。

 

退店時に、一瞬だけ我が子に目配せをしただけの母親に負けたような気になってしまって。

 

僕は子育てをしたことがありません。いずれそのときが来るのかもしれませんが、この出来事は仕事の経験値よりかは、未来への経験値になった気がしています。

 

仕事は正直、手段でしかありません。

そこで得たものを実生活に生かしていくか、殺していくかは自分次第。

 

あのときはっきりわかったのは、子どもに呼ばれたら返事ができる親になろう、という教訓でした。

 

経験は死んでいません。

 

親を捜すのではなく、見つけて呼んだだけのたくましい男の子に、感謝。