無資格料理人、こだわりの調理器具
本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。ゲシバイヌと申します。
調理器具って大事ですよね、ここはこだわりがでる部分でもありますが。
私は小さい頃から祖父の影響で料理に興味を持ち、幼少期の夢は料理人でした。
懐かしいw
年は食ってしまいましたが、手に職をつけられるものならつけたいもんですね。
そして、表題の北京鍋。
これはまあ、中華鍋みたいなものです。
中華と言えば大火力で、多量の油で食材をコーティングし、様々な香辛料を使用……まさにご飯が進む進む。
学生時代や今現在に至るまで、料理の内容の比率は中華料理を占めている気がします。
男の料理みたいなのって、変に気取ってないし私としては1番自分の理想に近い料理形態だったりします。
先月くらいに、中華鍋ならぬ北京鍋というのを購入したんです、ホームセンターで。
元々、IH反対派で、料理をするならガス火だろ! と、息巻いていた私ですが、この北京鍋。
ガス火専用品と相成っております。
打って付けでした、変にこだわるスタイルの私としてはw
ついでだからと、中華お玉も購入。
こいつが筋力トレーニングになるんじゃないかというほど、重量感を持っている。
北京鍋を振るい、お玉で調理すると鍛えられる状況ができてしまいましたw
これほど中華料理など、炒め物に適した鍋もないんじゃないかというくらい、使い勝手はいいんです。
煮物にも使えますし、案外万能なんですよ北京鍋。
ただ、つい昨日あたりに気づいたことがありまして……
北京鍋や中華鍋の手入れの仕方、です。
なんと洗剤で洗うのはタブーらしく、油膜コーティングが剥がれてしまい、食材がくっついてしまったりの弊害があるとのこと。
いやー、参りましたよ。
じゃあ、なにで油汚れを落とすのよ、となるわけです。
それは何を隠そう、水あるいはお湯だそうです。
調理が終わったら、鍋の中には料理を残しておかないですかさず余熱を利用しタワシやササラと呼ばれる竹でできた刷毛で洗浄する。
使い始めのときは、薄く油を塗っておくだとか、調理前には空焼きという煙が出るまで火にかけ、一度油を入れたらその油は捨て、再度必要な量の油をしく。
おおー、ややこしいw
ですが、こういうのそそるんですよ。
たかが料理されど料理で、ある程度愛着を持たせるためにも、調理器具の手入れは大事なのでしょう。
私は、すかさずササラを買ってしまいました、Amazon先生からw
これはまだ届いていませんが、まあまあ趣味である料理におもしろさが加算されたと言いますか、面倒くさい面倒くさいと思いつつも、この一手間が新たな楽しみを運んできそうでなりません。
北京鍋は使い始めは、調理→余熱洗浄→火にかけて水分を飛ばす→薄く油を塗っておく……という工程をしておいたほうがいいみたいですね。
自分の手になじみ、唯一無二の調理器具になったら最後のは省いていいのかも。
こうしてみると、料理自体にだけではなく、調理器具にも油を吸わせるなんて、中華料理と油は切っても切れない関係なんでしょうね。
そうこうしていると、油にもこだわってみたくなりますよねw
鍋に吸わせる油はどうだっていいかもしれませんけれど、実際に調理に使う油はいい奴を、とか。
うーん、キリがないかw
ただ、北京鍋は熱の伝わりが早いです。
ちょっと、普通のテフロン加工とかのフライパンとは段違い。
大火力を浴びるためにできたんだろうなと思うほどの耐久性と、手入れを怠ると調理に支障をきたす繊細さ。
北京鍋と仲良くなるのはなかなか難しいことなのかもしれませんが、めげずに使いまくってやろうかと思います。
我が家の油の消費量がとんでもないことになってしまいかねませんが、サラダ油はスーパーで安価に売っているはず。
さすれば、油を求めていろんな小売店に足を運ぶかもしれない。
そうやって趣味が趣味を呼んでくる可能性を考えると、ますます料理もおもしろくなると言うもの。
そして、時間が足りなくなってくるw
時間の使い方は難しいですね、ホントに。有限を無限に切り替えるには、天才の頭脳があってもそうそう簡単にはなし得ないこと。
食い物を作るためには、食い物を作る器具が必要だし、そもそも食材が必要になってきます。
大昔、狩りをしていた頃の日本人は自給自足で後世に知識を残していただいたわけですが、その時代だって器となるものは土器という形で現代において出土。
見栄えが違うだけで、物を食うためにしていたことは今も昔もそこまでは変わらなかったのかもしれませんね。
申し訳ありません、話が逸れました。
とまあ、北京鍋で作った料理は手間の調味料がかかっている分、どことなくおいしい気がするんですよね。
調理器具はケースバイケースでしょうけれど、私としては北京鍋にハマっている今、それで全ての料理を行ってしまうくらいの気持ちでいます。
気分は、無資格料理人。
無資格でもうまいものを作りたい。
私たちには料理を作る権利がある。
ならば、放棄しない限り、飽きない限り、北京鍋を愛してあげようではないか。
油とともに、ベタベタと。