伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

頼れる仲間とは、しかし

人は一人では生きていけないからこそ

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本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。ゲシバイヌと申します。

 

職場とは切っても切れない関係というのが、それ即ち、私たち労働者のことを指すわけですけれど、いざ働く意味を問われれば即答できかねる今日この頃。

 

みなさんは、給料のため以外の理由で労働に価値を見出すことができるでしょうか。

 

私はそもそも高校生のときからバイトをしていて、働いてお金をもらうことに対しては意外と早くから重要性を見いだせていたのではないかと思います。

 

が、バイトをした動機というのは欲しいものがあったからでした。

大抵の方の場合は、学生時代のバイトは生活費という名目はあれど、基本的には遊ぶ金を稼ぐため、としていたのではないでしょうか。

田舎から、ちょっとした政令指定都市や大都市東京へ勉学に励みにくるときは、相応の金が必要になりますから自分の学費をバイト代から捻出する、学業と労働の両立というなかなかに難しい行為に精を出すことになる。

 

では、いざ働くことになりバイト先や就職先で待ち受けるトラップや、それを乗り越えて得られる経験値は個々人にとって破格となり得るも、果たして……現実というフィルターに濾されすぎてしまったのならば、たぶん群れることが基本形になってしまうのでしょう。

 

自分を輝かせるのは、ただでさえ難しいのに縁の下の力持ちにすらなれない現代社会はもはや、牢獄のようなもので……などと、社会に対して不満を抜かしているくらいなら行動するしかねぇ!

 

今回は、そんな記事になる予定ですw

 

社会人になってから、どれくらいの年月を重ねたか、それは当然人によって違います。

年齢が高ければ社会人経験が長くなるわけだし、就職やフリーターであっても学生区分から外れてしまえば、もう立派な社会人。

 

そもそも社会人という言葉は、どういうことなんでしょうね?

 

社会に出るとはいうけれど、事実私たちが生まれた瞬間であっても、そこは紛れもない社会であって。

 

所謂、区別をするために社会人と呼称するのでしょうが、実態は労働人とでも称すことができてしまいそう。

 

自分の力で社会に貢献している人々を社会人と呼ぶのか、生まれたとき、その刹那から社会で生きていると同義とするのならば、社会人と定義するのか。

 

尽きない疑問です。

 

さておき。

 

みなさんの職場や、学校などなどで頼れる人物というのはいるでしょうか?

 

職場なら、上司ですよね、基本は。

社長、部長、課長、店長、次長……所属する部署の長、所属長というのは必ずいるかと思います。

学校だって、頼れるかどうかは別としても校長、教頭、学年主任やら役割は存在しますよね。

 

じゃあ、それら上の立場の人間が全ての社員、従業員、学生、生徒に平等に接することができるかといえば、当然不可能です。

 

請け負っている業務の幅も違いますし、人1人で見渡せる景色とはたかが知れているのだと思います。

 

しかし少なくとも、上に立つものは責任感がなければいけませんし、そこに頼り頼られる信頼関係は不可欠。

 

責任とは重くなればカッコいいとか、軽ければ不細工だとか、そういうものでもありません。

 

そいつの今昔

 

培ってきた経験を存分に発揮するのはいいですが、押し倒したりあまりにもがが強ければ批判が強まるのは目に見えている。

 

そういったものをもろともしない強靭な精神を持った人間が所属長になるんでしょうが、今を知っている人間と昔しか知らない人間では随分立ち回りが変わってきます。

 

例えばサービス業で、その店舗に戦慄の恐怖を与えたクレーマーがいたとします。

 

その当時に労働していた人ならば誰でも知っている要注意人物を共有するのは、非常に有効かつ必須事項でもあるでしょう。

 

しかし一般的な企業だと上の人間は、長い短いはあるにせよ入れ替わることが大半。

 

前任者からうまく引き継がれていれば問題はないかもしれませんが、引き継がれていたとしてもその事案を重大と捉えるか、大したことないと捉えるかは、人によって違う。

 

ここで意見の食い違いが生じると、下々の者たちは困惑してしまいます。

 

危険人物が危険人物ではなく、単なる面倒な客と認定されてしまった場合、それを修正するのには立場上の問題もあって、部下とされる人たちの問題は上司をどう説得するかという、存外本末転倒な着地点へ向かってしまいます。

 

こいつは、難しい。

 

なら、上が動かない、なら。

 

もはや自分で動かなくてはいけなくなってきてしまう。

その結果、上司から叱られたりしても良かれと思ってやったことなんだから……と自身を納得させることもできるかもしれません。

 

ただ、客商売をやっていると常にバトルです。

接客業やサービス業というのは、人対人のばとるなんですよね。

 

バトルだったら、司令官から指示を受けて行動を起こすのは何もおかしいことではないのに。

なんとも、指示すらも飛んで来なければ自分で動くしかなくなってくる。

 

シュミレーションゲームの1つではないかと思うほど、客商売とは戦略が必要だと言えるでしょう。

 

頼れる司令官から頼られる歩兵なることは、努力次第と言ってしまえばそれまでですが、コミュニケーションが必要不可欠になってきます。

 

その話も聞かないような司令官は、使えない云々の前にいつの間にか、どこかへ左遷させられてしまうかも。

 

だから、客とのバトルに勝てないのではないかと思う今日この頃でありました。

 

やっぱバランス大事よねw

人は1人では生きていけないからこそ。