皆様こんにちは、閲覧ありがとうございますm(_ _)m
梅雨の季節がやってきましたね、ニュースでは梅雨入りしたとかしないとかやっていますが、世間はいまだコロナの話題。
そんなときに毎日の日課である食事という行為について、僕は改めて考える機会を設けてみました。
食生活の見直し。
食育の在り方。
食材の探訪。
そのどれもが当てはまりませんが、結局のところベースというものは何事においても大事になってくるという話です。
みんな大好きラーメンだって、ベースとなるスープに必要な食材その他諸々は、料理人が配分を研究したりして作っているわけです。
でもいちいち自分の食べたラーメンを分析するようなことはあまりないかもしれません。
出汁に何を使っているとか、そういう風になんとなく金を払って食べたものに対して、振り返ってみたりはするかもしれません。
ただ、最終的には腹が減っているから何かを喰うわけです。
その何かは全人類が一致するはずもなく、土地土地や個々人の文化によって様々です。
切っても切れない関係にあるのが食で、その食には色(しょく)が入っていて、目で口で楽しむことが出来ます。
料理は小さい頃から親しみがあったのですが、一人暮らししていたときも所帯を持った現在でも、定期的にしています。
変にこだわってしまうと時間と金がいくらあっても足りないので、主に時短料理にはなってしまうのですが、出来合いのものと手料理とをコンビネーションさせることによって効率的な食卓を作ることが出来るのではないかと思っています。
それに伴って、やっぱりベースなんですよね。
なんといっても。
調味料は優秀なものが市販されていますので、ある程度料理が完成形に向かっていけば、あとはそれらの力に頼れば立派なものが作れます。
しかしベースというのは、音楽でもそうですがこいつが崩れてしまうと積み重なっていったものが大体ダメになってしまうもんですよね。
とか考えると、何とも料理は難しいのですけれど……。
子どもの離乳食を妻が作っているときもああ、なるほどと思うときがあります。
十倍粥であるとか、カボチャをペースト状にしたものであるとか、素材の味のみで赤ちゃんに食べさせるわけですが、この場合、ベースは米とカボチャになるわけです。
ベースの上にのっけるものがないから、ベースそのものが主役となる離乳食は対象外かもしれませんが、いやはや、ベースのみで成立させているからこのベースとはかなり重要なんではないかとの考えに至ったわけです。
なんだか、面倒くさい言い回しですね。
そう、ベースは大事と。
まあ、そんな話しでしたw
先日、「仰店グランプリ」なる特番が放送されていまして、それに出てきたとても印象的で素敵なお店がありまして。
東京の青梅街道に店を構え営業していらっしゃった「はるよし&友子」さん。
昨年末体力の限界から閉店してしまったそうですが、そちらのご夫婦の心意気や、料理に対する思いがとんでもなく僕の胸に刺さりまして、未だに感動覚めやらぬ状況です。
詳しくはググってください……。
そこの主人は、シンプルに「これ、美味しいんだよ。食べてって」など自身の料理に対して愛情を持っていらして、なんだか僕はそれがとてもいいことだなと感じてしまいました。
忘れかけていた気持ちみたいなものでしょうか。
手間暇かけて作った料理を美味しいと言ってくれるのは、何も他人だけではなく自分だっていいわけですよ。
自意識過剰はちょっと困りますが、信念を貫いて自分が納得いく料理を自分で食べて美味ければきっとそれでいいんだと思います。
店を経営されたりしているのなら、それは当然シビアなものになってしまいますが、最終的には自分が評価を下して、自分を納得させることが出来たのなら万々歳なのではないかと思う次第。
まあまあ、自分勝手な意見でしたね、すみませんw
何はともあれ……「はるよし&友子」さんをテレビで知れたのは、今後の人生に行かせる教訓を学んだようで僕にとって相当な収穫でした。
利益ばかりを追求している現実も現在の仕事で痛いほど知っているからこそ、本当に心に染みました。
将来は、家族でお食事処でも開けたらいいなぁ……などと淡い夢を描きそうになるほどの美しいお話しでした。
気になった方は、ぜひ調べてみて欲しいです。
さてと、今日はこの辺で。
ここまでお読みくださり誠にありがとうございます。
なるべく早めに次回の更新をしよう! と淡い夢を描きつつ終了とさせていただきますm(_ _)m