皆様、こんにちは。節分も近づいてきて冬の厳しさも著しいなか、いかがお過ごしでしょうか。
仕事が終わり、節分までの束の間の休息(実際に仕事が休みなわけではない)にキーボード叩いてます。
なんだか仕事仕事とネタのように話すのも気が引ける話なのですが、人生の大半を仕事をして過ごしている人間にとってこいつは切っても切れない関係。
社会人も十数年経験すると、自分とあわない人あう人がいたとしても、それはあくまでも仕事上の感情【仕情】と僕は勝手に名付けているのですが、このコントロールがうまくいかないと心神喪失状態になってしまうのではないかと考えます。
うつ病は甘えとか、いろんなもはやネットスラングと化した言葉を拝見してきましたが、うつ病になったことはないのでよくわかりません。
コロナと一緒で知らない間に感染して、知らない間に回復しているのかもしれませんし。
とにかく、相手を指導する立場にあるとどうしても仕情が浮かび上がってくる。
浮かび上がってきて、それをスタンドであるかのように帯同させ——ワガママな相手をいなす。
基本的に時間給労働者も月給労働者も仕事に対する文句は尽きません。
こうしてブログで愚痴っていることが証左ですね。
しかし大前提としてその考えがある以上は、仕事をするときにぜひとも思い出してもらいたいもの——皆、同じという同調圧力ならぬ、協調圧力を。
文句を言うなら辞めればいい、という決まり文句があります。
僕は結構昔から、賛成でした。
元来、バイトができる年齢からコンビニなどで働いてきた身分としては、大前提として「面接を受けに行った」という事実が存在。
この面接は、学校にしても企業にしても必ず通る登竜門みたいなもんで、強制ではないんですよね。
此方側から、相手先の門を叩いているわけです。
働けよ! と懇願あるいは、叱咤されてバイト先、就職希望先の面接を受けるわけです。
此方側から動いているのに文句を言うとは何事だ! という精神を真に受けている僕みたいな奴隷根性バリバリな人間は、仕事に対して節目はあっても負い目はありません。
経緯どうあれ、今仕事をしているのは自分のせいですからね。
もちろん文句や不満も出てきますが、四六時中会社に対してぶうたれているわけではありません。
なぜだか不思議ですね。
昔はそうじゃなかったのに。
やっぱり加齢ですね加齢w
文句不満たらたら人間の気持ちもわかりますし、黙って働く、嫌なら辞める——両方のスタンスを理解できるまでにおっさんになりました。
前述の嫌なら辞めるですが、現状そんなことができないから働き続けるという結果に。
そんでもって精神病む、みたいな悪循環が待っているのをわかっている人とわからない人とでは、進路も退路も大きく違ってくることでしょう。
なんでも自分の思い通りにしたければ、理想の会社を作ればいいしそのノウハウは世の中に転がっていると聞きます。
それができないのなら働くしかない。
不満を持ちながら働くのはえらいストレスですし、せっかくならば気分よく働きたいものです。
気分よく働くために邪魔者は排除したいところですが、雇用契約という枷はなかなかどうして現代社会になおも根付いていて、未だにハンコが必要という逆行具合。
まあ、ならハンコ押せる人間になれって話で結び。
15連休くらいしないといいアイデアは思いつかなそうw