皆様、おはようございます。
この記事を書いているのは正真正銘の2023年3月11日(土)です。
どうしても書くならこの日に続編をという気持ちになってしまいました。
こんなもの自己満でしかないんですが。
あの日の夜の話をしようかと思います。
3月11日(土)当日にアップされたであろう記事の続編というか補足というか、そんな感じです。
コーヒーブレイクしながら書きます。いや、飲んでいるのはザバスのプロテインなんですが。
当時は、コーヒーもプロテインも飲めませんでした。
こうして優雅に休日を過ごし、キーボードを叩くこともなかったわけなのでこの行為は12年前の僕に対する当てつけか、過去に対しての憤りか定かではない。
少なくとも12年後の現在は、五体満足に生活しているという安心材料をより具体化させたいがための作文かもしれませんね。
特に意識してシフトを作っているわけではないのですが、毎年3月11日は休みになっている気がします。
12年前の3月11日夜間は、とても冷え込んでいたのを覚えています。
崩れた自宅の今後を考えながらも、夜寝るところを探す必要がありました。
自宅は当然、周辺地域同様に停電中。
寝るには寝られたのかもしれませんが、余震が続くなか崩壊寸前の自宅で床につくのはかなりの危険行為と判断。
近くに公民館があり、地区長さんのはからいで開けてもらえることになりました。
公民館に身を寄せたのは近所のご家族も含め総勢10名弱。
この公民館は何年か前に建てかえていて、新しく綺麗に生まれ変わっています。
夜はどこにも灯りが灯っていないのもあり、星空が皮肉にもその当時の人生のなかで一番輝いて見えました。
蝋燭の明かりで一夜を過ごし、翌朝。
食料に関しては備蓄していたお菓子など各家庭から持ち寄り食べていました。
水道も出ないので、紙皿にラップを敷いて洗い物を削減。
加熱系はガスコンロを用いました。
ここでガスコンロについて一つ、人間的、商売的な話がありまして。
首都圏のほうでもそうだったのかもしれませんが、ガスボンベの高騰。
これは単純に品薄になったから価格が高くなるのではなく、店舗の判断で値段をつり上げる、といった行動でした。
世論がそう動いたとかではなく。
シンプルにオーナーの心理といいますか、両極端だったのを記憶しています。
滅多に行かない店にも物資を求めて客が殺到するように、これぞ商機と見做して在庫を高値で大放出——そのような図式ですね。
反対に、無償で使ってくれと言ってくださった方もいたように思います。
これは一見すると前者はあくどい感じがしますが、大企業はもとより個人商店なんかはそういった有事に見境なく商売をしないと自分すら助からない状況に陥ってしまう。
仕方がないとはわかっていても、ガスボンベが1本1000円超えはやり過ぎかと思いましたが、商売する側に立っている現在からすればわからんでもない。
でも当時は、そういった個人判断による価格高騰が横行していて自販機で売ってるタバコの入荷状況を商店の店主に訊きがてら、1箱320円は変わらなくてよかったと紫煙しながら僕は腹立っていました。
近所のコンビニでは何が入っているかわからないけれど、1袋1000円で食料福袋を販売していました。
とにかく食料は大事だったんです。寒いし。
数日後電気は早めに復旧しまして、カップ麺なんか格別の味でした。
公民館で一致団結し、担当を決めて水をくみに行ったりとか食料調達に行ったりだとか、有事のときにできうることをやった地域の皆さん方は強かったと思います本当に。
当時ニートの僕も情報を仕入れるためにバイクに跨がり行脚したり、地下水が湧いているスポットに行って水をくんできたり、そんな日常を過ごしておりました。
ガソリンは枯渇状態でしたが、満タンに入ってる車輌から別の車輌へ給油したりと、いろいろ試していました。車輌関係はお世話になっているバイク屋さんが面倒を見てくれて、感謝しても感謝しきれない思いでいっぱいでした。
3週間程度でガソリンもだんだん供給されはじめ、給油状況も元通りになってきました。
このあたりから住居に関して思うところがでてきたと言いますか、それはまた別の機会に。
今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。