病気と常に隣り合わせということを忘れてはいけない
本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。ゲシバイヌと申します。
タイトルの肺肺は赤ちゃんがするハイハイとかけていますが、決してHi−Hiなテンションが上がる記事ではないかもしれません。
人間には常に、病気がつきまとう。
数年前の実体験を元に、文字に起こしておこうと思いました。
僕は、元喫煙者です。
昨今の喫煙環境というのは非常に狭く、苦しいものになっており喫煙者にとっては住みづらい世界となってしまいました。
屋内喫煙禁止を掲げる企業も多いですね。
その手は、飲食業にまで及ぶというのだから世界の禁煙志向がうかがい知れるというもの。
現在の僕の考えとしては、人に迷惑をかけずに所定の場所で喫煙すれば何も問題はないし、非喫煙者も吸わない自由を選択しているのだから、頭ごなしに喫煙者を否定するのはよくない、といった感じ。
喫煙者と非喫煙者が歩み寄るなど不可能なので、お互いにそっとしておく心構えは欲しいところです。
さておき、僕はタバコを辞めたのは今から約6年くらい前で、良くも悪くもこの身近に存在するワンコインで買える麻薬は、吸う人間に一時の快感を与えます。
ニコチン依存症という言葉があるんですから、まず間違いなく中毒なわけです。
数百の化学物質を含有し、フィルターを通さない純正のモクは主流煙の数倍以上の毒素を含んでいると知ったのは、かなり後になってから。
そんなもの好き好んで吸っていた僕は、1日に1箱〜2箱は必ず吸っていて、1箱1000円になろうとも吸ってやるぜ! と、豪語していたスモーカーでした。
禁煙を友達と勝負した時期もありましたが、ほんの2週間を待たずして、ジッポーでタバコに火をつけていました。
冬空に吐き出されるモクモクは、花火より綺麗だったかもしれません。
しかしながら、喫煙歴が5年にさしかかった頃、二十数年付き合ってきた肺と向き合わなければいけない時期がやってきたのです。
親との付き合いと同等の、臓器たち。
とりわけ、喫煙者の僕には肺と密接な関係があった。
ドクターが舞い降りてきた
あるとき、昼寝をしていました。
当然、起きました。
すると、筋肉痛のような痛みが胸のあたりに走ったのです。
ちょうど心臓部分らへんでしょうか、とにかく、あの筋肉痛のようななんとも言えない嫌な痛みでした。
変な体勢で寝ていたからだろ、と僕はあまり気にもとめませんでしたが、翌々日になったとき筋肉痛のような痛みは、明らかに嫌な嫌な痛みになっていたんです。胸が締め付けられているような感覚でした。
いよいよ、病院か……そう思いながらも、家の換気扇の下で愛煙している12mgのタバコを吸いました。
このタバコが、僕の喫煙者生活最後の1本になりました。
こうして振り返ってみると、感慨深いw
あのときは、病院に行くのも面倒でどうしようかなーとか言いながらタバコふかしてました、あぶねー(^^;)
町医者に診てもらうべく準備を整え、いざ病院へ。夏だったので半袖でした。
車を運転していつも行っている病院に診察へいくと、昼時でタイミングよくすぐ僕の順番が。
僕が症状を話すと、ちょっとレントゲン撮ってみようか、と先生。
まもなくして、先生から言われた話は、まるで最後通告のようでした。
「これはもう、大きい病院紹介するね」
「えっ……?」
と、僕は呆気にとられました。
「僕も研修医の頃やったんだけど、簡単な手術だから」
もはや手術という単語が出てきたからには、やんごとなき状況になっているんだなと素人ながら思いましたが、レントゲン一発でなんでもわかってしまう現代医学にも素直にびっくり。
「自然気胸」
僕はそのとき初めて聞いた病名でした。
研修医が手術させてもらえるくらいの病気だ、大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせるセクションに突入してからも、手術しない方向で考えてもらえるよう僕は策を練りました。
まずは、総合病院に行ってみてからだ。
紹介してもらった病院は大きな病院で、自宅からもさほど離れておらず行きやすい場所ではありました。
しかし、頭の中では手術なんてしたことがないので、別の方法別の方法、と病院に着くまでの間に冷や汗と、胸の痛みに踊らされながらも念仏のように唱えていました。
病院に着き紹介状を提出し、ドクター2名が上層階より降りてくるのは間もなくのことです。
血相を変えて、「あの、一刻を争うので」とすぐさま僕を病棟に案内しました。(驚愕でした)
気胸なので、科は呼吸器内科になります。後に、呼吸器外科に移動するのですが……。
真剣な顔をしたドクター2人。
かくして、僕は病室のベッドに横たわりました。
処置、設置、放置
案内された病室でベッドに横になった僕は、その場で麻酔をされ、ドレーンを繋ぐための孔を身体にあけることになったのです。
肺の嚢胞、通称ブラというものが何らかの理由で穴が開き、肺が空気漏れを起こす。
肺は風船のようなものとドクターはおっしゃっていました。それが空気を抜かれるのです。
肺は、縮んでしまっていた。
その縮んだ肺が心臓部を圧迫していた、と危険な状況にあったことを説明されました。
だから、ドクターたちは真剣な顔だったんですね。
自然気胸は、そういう病気です。
程度はあるみたいですが、僕のは特に重傷で本当に危険だったらしいのです。
鈍痛ってこんな感じか……と、自分の皮膚にメスが入る感覚。
そしてぐぐぐ、と何かが体内に入ってきたのがわかる。
横目で処置をしてくれているドクターを見たくても、背中越しなので難しい。
ちなみに、ドレーンを繋いだのは脇の下から4、5センチ下付近。
僕のは左自然気胸だったので、左脇ですね。
しかもこのときって、それこそ研修医の方々が処置を見ていたんですよ。
命を助けるためにやっていることなのに、やっぱり恥ずかしかった(^_^;)
彼らは勉強のために見ているのだから、何の罪もないですが患者の僕からしたら正直、見ないで欲しかったw
ドレーンも無事に繋ぎ終わり、あとは漏れた空気を抜くのみ。
この状態までもっていくのに、30分もかかっていなかった気がします。医者のスゴさは並じゃないですね。単純に、人の皮膚に刃物を入れるなんて想像がつかない。
その日は、それで終了で夕飯から出してくれました。
余分な空気が胸腔内から抜けきればいいのか、もう少しの辛坊だ。
翌日以降、この期待は水泡に帰すことになります。
この話は、付随するものを含めると長くなりそうなので、何回かに分けようかと思います。
書いている内に何か思い出すかもしれないし、自分のライフスタイルについて1つも2つも刺激を受けた出来事だったので、当ブログが掲げる生き様の開拓にはもってこいだと思っています。
自分勝手ですみませんm(_ _)m
みなさまも、よろしければお付き合いください。