伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

縁ジン、またの名をエンジン

かっこうだんご

皆さん、お疲れ様です。

 

先日の旅行から帰宅してから悪縁が切れそうな出来事がありました。

 

何の話しやって感じですが、岩手に行った際に多くの神社に参拝してきたんです。まあこれはいつもの趣味のことなので変わり映えしないんですが、未開拓の神社に行くってのがなんとも染みるもので。

 

神社はどこを参拝しても心洗われる気持ちになりますが、行ったことのない土地の神社はさらに霊験あらたかです。

 

人間は縁で結ばれているもので、自分に必要のない人間は自然切れていくような、そんな話です。

 

やっぱり仕事をしていれば嫌な人間に出くわすこともありますし、それはぶっちゃけお互い様ですよね。

 

これって、結構簡単な話だと思います。

 

同じ人間はこの世にいませんから。

 

自分より優っている人、劣っている人、必ずいます。

ということは自分もそう見られている。

そういう風に考えられれば、仕事ってもっとスムーズに行くんじゃないかって思います。

 

他人のフォローができる人って素敵だと思います。

 

しかしこのフォローを、シンプルなフォローと捉えられない人もいるわけです。

 

俗にいう「何で私が」って奴。

 

仕事が遅れている人をフォローすることを「何で私が」で片付けてしまうと、自分の作業量ばかり増えているとか負担が増えているとかそういう発想にいってしまうんですよね。

 

仕方がないじゃん? って思えたほうが楽なことはたくさんあります。

ただそう思えないで意固地になっている人がいるのも確か。

 

難しい話題ですが、何か不満が出てくるというのは常にお互い様だろって僕は思うのです。

 

バランスは大事です。

 

誰か一人のために均衡が取れないのならば、是正すべきかもしれません。

しかし働いている以上は、何かしら問題が発生しますしそういったことを常々協力しあって成し遂げるのが仕事だと思います。

 

まあ、僕の理想論でしかないのですが。

 

そんなわけでちょっと問題があった人が自ら立ち去ることになり、心機一転をはかれそうなそんな雰囲気なんです。

 

でも人が欠けるということは、単純に頭数は埋めなければならない。

目下の課題はそこなんですが、そういう欠員も楽しみながら仕事できるような人材はどこにいっても強き人間なのかなって思います。

 

無理せず、ほどほどにやってきましょうかね。

 

今回はこの辺で。