伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

据え置き人間が時代を生き抜くためには

時代はモバイル、稀代の英雄

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本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。

 

今回は別に、最近CMでお馴染みのauと英雄をかけたかったから、書いたわけではありません。

 

モバイル、とりわけラップトップ型がもてはやされている今、僕のように据え置きの製品が好きな人間は、淘汰されてしまうのか?

 

そんな心配を記事にさせていただきました。

 初心忘るべからずの精神で、今まで生きてきた! という方でも、寄り道は多くあったと思います。

特に趣味に至っては、代わる代わる対象が移りかわっていき、最終的に生き残った趣味が今現在でも続けられているのではないでしょうか。

 

僕は小学校くらいから、父親の仕事の関係でパーソナルコンピューター、つまりはPCに触れる機会がありました。

当然その頃は、Windowsが出始めた頃だったので、ラップトップ型PCなどありません。携帯性に優れたパソコンもあったのかもしれませんが、僕の目に映っていたのは箱形のWindowsでした。

 

用途は、今も昔も変わっていません。

父親は仕事で使っていたのでしょうが、よくゲームをやっていましたし、僕もご多分に漏れずマインスイーパーなどやっており、現在の趣味人の基礎を築いた何かが90年代初頭にあったんだと思います。

 

まあ、まず間違いなく据えていました。

 

腰を据えて画面に向き合うのはパソコンに限らず、幼稚園時代に初めて触ったファミリーコンピューターやスーパーファミコンがありますが、一大ムーブメントを巻き起こしたWindows95はPC関連について僕に多大な影響を及ぼしました。

 

仕事でパソコンを使っているわけでもないのに、PCが好きなのはその頃の経験値が後振りされた形でしょうか。

 

僕にとっての英雄は、WindowsPCだったのかもしれません。

今もこうしてPCを前に、腰を据えて文章を打っている。

 

Windowsじゃなく、Macですがw

 

Microsoft社よりもApple社製品に興味を示してからは、ほとんどMacで趣味に没頭しています。

しかしPCを触ってる行為の礎は、前述の通り、あるとき父親が入手してきたWindowsパソコンだったのは間違いありません。

 

今はパソコンに触れたことがないなんて人は、ほぼいないでしょう。

それこそ幼稚園、小学校時代から触れているなんてざらな時代。

 

でも、この時代。

座って、大きめな画面を眺めている場景があまり想像が付かなくなってきました。

 

常に動いている様な気がするのです。

 

自分からは動けないから自分が動かすへ

 

据え置き製品は、一度設置すると動かせることは動かせますが、少々労力を必要とします。

デスクトップパソコンも配置換えをするときに動かすくらいで所定の位置に置いて操作するものです。

 

携帯電話やスマホをほぼ全員が所有しているこの時代、この動作を端折るか端折らないかで行く末は変わってきます。

 

端折れるか端折れないか、かもしれませんが。

 

ちょっとの動作もめんどくさいと感じ、結果的に持ち運びのできる端末が開発されていったのだと思いますが、ものぐさは便利さを生み出すのも事実。

 

僕は職場に早目に着くように家を出るほうで、始業までの間、車内でiPhoneを使ってブログ記事の下書きをすることが多いです。

 

家でもできるけど外でもできる。

 

据え置き製品が大好きですが、こういうところはちゃっかりモバイルの便利さにあやかってます。

利便性が極限まで高められた、使い勝手のよいスマホは、タブレットというノートパソコンよりは小さいけど性能は負けていない新しいものへと進化し続けています。

 

先日は新型iPadも発表されました。

時代は持ち運びに特化したもので溢れ始めています。

 

そんな中でデスクトップパソコンは時代遅れみたいな風潮もあるようで、メーカーホームページを閲覧してみてもデスクトップのラインナップは非常に少なくなってしまいました。

 

腰を据えなければ落ち着かない!

 

僕としては、ネットサーフィンをするにしても文章作成をするにしても、画面と向き合わないと落ち着かないんですよね。

 

スマホやタブレットでも見ているのは画面なのですが、顔が隠れる程度の大きさのものを眺めているのが至福。

ちょっと危ない性癖みたいですがw

 

素人の遊びにすぎないですが、iMacに向かいDTMやって見たりバイク動画の編集をやってみたり。

画面に向かって趣味をしているときは、なぜか落ち着くんですよね。

 

ゲームもくどいように据え置き派と宣言してきましたように、腰を据えて向き合いたい。

そして、熱中したいんです。仕事とかで時間ないんですが……(^^;)

 

でも仕事で忙しいから、は言い訳です。

趣味に没頭する時間を作って据え置き人間が時代に据え置かれないように気をつけつつも、経験値を貯めていきたいところです。

 

虚無感というか、ゲームクリアのときの感動は携帯ゲーム機だと半減してしまうんですよね。

達成感がないと言ったら怒られそうですが、同じゲームをするなら大きな画面で珈琲でも飲みながらまったりやりたいと思うのが僕の意見です。

 

据え置きから始まった時代は、自分で動かせるものの時代に移行しました。

 

置き場所を選ばないのではなく、置き場所すらいらない。

 

大変に便利ですが物足りない。

ものぐさ人間に便利さは凶器になり得る恐れがありますが、荒療治も時には必要なのも知っています。

 

ものぐさ人間は、僕のような据え置き人間をどう思うのでしょうか。

据え置き人間は、ものぐさと紙一重。

 

なにせ、据えてあるものを使って楽しむんですから。外に出なくても家の中にいればなんでもできてしまう。

 

おかしい。モバイルはかゆいところに手が届く大発明だったはずなのに、据え置きも負けてはいなかった。

 

実は、どっちもどっちなのかもしれません。

 

時代は進みましたが、人間の面倒臭さを源流とする進化は今も昔も同じだったりして?