漫画を読むのと活字を読むのと
本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。
漫画とは大衆娯楽の中でもとりわけとっつきやすいと言いますか、非常に身近な存在です。
生まれて初めて目にする読み物と言えば何でしょうか。
絵本?
漫画?
小説?
そのいずれもが、絵と文字によって構成されています。割合が違うだけで読み手に情報を与える術は、絵と字しかありません。
これはもうはじめから制約があるようなもの。
無機物から得られる情報には限りがあるとは言え、華やかな装丁、心に訴える文章、美しい絵。
それらから僕たちが感じ取るものは無数にあるわけです。
漫画に焦点を絞れば、キャラクターが何をしゃべっているのか、何を訴えているのか表現するためにセリフ=文字が記されています。
キャラクターがいくら美しく描かれ、読み手に強烈な印象を与えようとしていても、カラの吹き出しが隣にあっては却ってそちらのほうが目立ってしまう。漫画はやはり絵なので吹き出しが目立っていては元も子もありません(笑)
作為的にそうしているケースもあるのかもしれませんが。
基本、漫画は絵と字とが双方のいい味を引き出しつつ成り立っている媒体ではないでしょうか。
反対に小説は、ほぼ字だけで構成されています。一冊の文庫本で原稿用紙約300枚ほどの分量が必要で、ひたすらに文字が紙に描かれています。
ライトノベルや一般小説などの分類がありますが内容が違うだけで、表現に使われているのは字。
情景描写の補佐を挿絵に担わせている作品も数多くありますが、だいたいは見渡す限り活字の海となっています。
比率で言えば、字の分量を絵の分量が上回ることはありません。
読破するまでにかかる時間も当然、違いますよね。
斜め読みという言葉があるように、活字媒体をさらっと読めてしまう方々もいるようですが、僕には無理でした。
漫画ですら入り込んでしまうとじっくり読んでしまう人種である僕に、難しい言葉が使われまくっている小説を理解せずに流し読みはできなかった……。
字だけでシーン再生・表現をすることができる人は作者読者問わずやはり達人です。
それを読んで理解し楽しむ私たち読者としても、実際のところ向き不向きだったりあるのではないでしょうか。
娯楽に難しく考える必要性はない! と、するのならそれまでで、ただ紙に字が書いてあるものを読むという行為に没頭すればいいのでしょうが……それだけではつまらない。
娯楽であるからこそ楽しむという行為に没頭するのならば、たとえそれが漫画だろうと小説だろうと向き合わなければならないのではないでしょうか。
作品には作り手がいるので敬意を表したり、突っ込んでみたりしながら堪能するのがおもしろい。
けれど、それなりに「没頭」しなければいけませんね。
つまり、読むスピードが遅い僕は数多ある作品に触れる機会を若干損失しているところがあるものの伸び代がある……と、結んでおこうと思います(笑)
斜めに読んでも、真っ直ぐ読んでも、小説も漫画もそこに表現されている想い・考えを感じ取る醍醐味を持った素晴らしい紙(最近は電子書籍があるので紙ばかりではないのですが、ここらへんはいずれ別の機会に)なのですから。