伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

人の気持ちを理解する

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僕は猫だけど人の気持ちを知っているぞ

 

記事を読む気になっていただきありがとうございますm(_ _)m

 

とまあ、挨拶はこれくらいにして……。

 

今回は日本人の義務である勤労について、戯言を書き連ねようかと思っております。

 

時は2020年。あのビッグバンから早、百数十億年。

時間が経つのは早いもんですねw

 

宇宙の起源を持ち出そうと、そうでなかろうと時計の針は動くのをやめません。

電池で駆動するのか、ソーラを動力源とするのか……定かではありませんが、元が意識を持っていればずっと動き続けます。

 

人間も同じで、心臓が止まるまでは、死因がなんであろうと動き続けます。

 

止まるのは、己の意志でそうするのか病気か何かで強制的に鼓動を停止させられるかのどちらか。

 

これは、誰しもに言えることで心臓が止まるその瞬間まで、どうにかこうにか試行錯誤して生きていき、誰一人として他者のコピーとなる、あるいは真似事止まりの生き方しか出来ません。

 

目標にする人物がいても、その人と全く一緒の生活を送れる可能性は極めて低いどころか、限りなく零というか、零だと思います。

 

自分は一人しかいないので替えの効かない大事な存在でもあるわけです。

 

もちろん、その大事な人生を脅かしてくる腐った人物や、お邪魔虫とされる障害は否応なく立ちはだかってきますよね。

 

どんな生活をしていても、そこには誰かがいるわけで。

 

仕事なんかも最たる例で、組織の中に所属している所謂サラリーマンは、一人で金を稼げるわけではありません。

会社の利益を上げるためのコマとして日々動かされます。

または、自分で動きます。

 

枠組みとしては八割方、仕事をする仕事人が占めているので、フリーランスで働く方々を除いては、どこかの所属として就労してます。

 

そういう所属先をかき乱すも、平穏無事に運用するも個人の勝手なのですが、やろうと思ってることを遮ってくる社会人は五万と存在します。

 

そのとき忘れていけないのは、人の気持ちだと思っています。

 

人の気持ちほど脆いものもないと思います。

何も感じないように、自分のやりたいように我が儘な人は脆くないかもしれません。

 

しかし基本的には、脆い心をコアとしているのが人間ではないかと。

 

何かミスしたり気分を害すシーンを目撃したとき、必ずといっていいほどコアには陰りが見えてくる。

 

何も感じない無関心我が儘人間でも、消化の仕方が違うだけで、根幹にあるのは脆さであるといえるでしょう。

 

他人の気持ちを理解する気持ちが欠落しているだけの話しで、誰からも煙たがられているような人間であっても、脆さがある。

 

その脆さの隠し方に各々の持ち味が出てきて、性格が悪いだとか、いい人だとか、怖い人だとか、つまらない人というのが登場してくるのではないでしょうか。

 

といっても、ここで他人の気持ちを考えず自分のやりたいようにやってしまう人間を嫌う必要がないのかといえば、それは全く別問題。

 

輪を乱してくる人に関しては、無関心でも関心を持たせなければダメなのが、社会人の辛いところ。

 

どうあってもつーかーの仲になれない間柄だったら、歩み寄る必要がなければ歩み寄らなくてもいいのが正しい選択だと、何年か前に聞いたことがあります。

 

どこの職場でも共通のことでしょうが、他人に寄り添い、押しつけがましい行動は控え、しっかり相手を尊重するようにすればまさにワンチーム的な結束が生まれ、会社も盛り上がってくるのかなんて僕みたいな未熟者はいつも考えています。

 

自分の嫌がること、されて嫌なことはしない……これは鉄則。

 

決して脆いコアを守っているわけではありませんが、昔から言われ続けてきた伝統ある言い回しには案外、ビッグバン並に衝撃が込められているのかもしれません。

 

僕はせいぜい立場に見合った立ち回りをして、相手の立場にもたちつつ独自の消化法で脆さを消し去れればいいなと。

 

それが出来たら苦労しない! のが社会人なのも知っていますがw

 

付き合っていただきありがとうございましたm(_ _)m

いよいよ記事の内容が斜めの方向に……