伝説の経験値を求めて 

サブカル趣味による生き様の開拓 。世界には楽しいことがいっぱい。目指せカンスト!

趣味を仕事にするのか、仕事を趣味にするのか

遊び、学び、また遊ぶサイクルの不安

f:id:geshibainu:20170606032844j:plain

 

本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。

 

表題の件は、永遠のテーマと言っても過言ではないかもしれませんね。

前者も後者も、背水の陣で立ち向かった場合においては、その真価が日の目を見ることになるのでしょう。

 

生き方に価値も勝ちもない。

あるのは、ある種負けだけではないかと、僕は思うのです。

 哲学者でもなんでもないただの底辺社会人である僕が、人生について語るなど勘違い甚だしいところではありますが、これは僕のブログってことで好き放題お話しさせてくださいw

 

では、ちょっと昔の話を。前にも少し話したかもしれませんが、ご了承いただければ。

 

学生時代、単位より日本銀行券が欲しかった僕は、バイトをしていました。バイクのローンのために働いていたようなものですが、得たものは大きかったです。

 

労働者として社会に派遣される前の準備段階として、実践にて行われる社会勉強が強みになっている、と「いらっしゃいませ!」を言いながら経験値とお金を稼いでおりました。

 

それがいつしか、当たり前になってきました。

 

人間関係なども、付き合いの日数が経過して行くにつれ、初々しさがなくなり、親しき仲にも礼儀ありの信念を忘れてしまうこともしばしば。

 

この当たり前に切り替わった瞬間を把握している人は少ないのではないでしょうか。

 

仕事もそうです。

 

知らない間に仕事を覚え、妥協を覚え、サボりと効率化を同等に捉えてしまうヒューマンミスを犯してしまう。

 

仕事を始めた当初の目的や理由も忘れてしまうのは、ままあることでしょう。

大多数がそうだろうし、僕もそうでした。

 

仕事をするために会社の面接や試験を受け、採用され、組織下に自分が置かれる。

この当たり前の流れは、突然急流になることはなく、緩やかな流れでサブリミナル効果のように、隙に入り込んでくるようなトリッキーな概念です。

 

バイト代で欲しいものを買うという目標を掲げて働き始めたのに、いつしか僕は働くのが当たり前になってきてしまいました。

 

それは、人として当然。

 

ですが、当然が必然に代替する瞬間を見逃せませんでした。

 

仕事の予定をプライベートにエクスチェンジする

 

すり替えと言ってもいいかもしれない。

通常、飲食店や小売業のアルバイトはシフト制を採用しています。

一般企業でもシフト制のところはあるし、月曜日から金曜日まで仕事で土日は休みというリーマンタイムの働き方もあります。

 

人間には、プライベートがありますよね。

自分の時間を充実させることによって、仕事に対しての意欲を高め、翌日からの労働に精を出す。

そういったライフサイクルの中で、予定を詰める場合においては、何を犠牲にするかによって今後が変わってきます。

 

仕事とプライベートどちらを優先とするのか。

 

この選択は否応なく、どんな形態で働いていたとしても降りかかってくる課題であると言えます。

 

慶弔休暇を申請したとして、その間は職場には出勤をしなくていいわけですが、自分がいなくても組織は動き続けています。

重役だろうと何だろうと、組織の一部として働いているからには、プライベートと仕事の両立を図るために、生け贄に捧げる生活が存在。

 

生活の一部をといったほうが正しいかもしれませんが、慶弔休暇で仕事に穴を開けていてはダメだ……と、思い始めたら末期でしょう。

 

すり替えています。あるいは、すり替えられている。

 

本来の目的とは違うところで、強迫観念にかられ、本当に大事な当たり前を別の当たり前にすり替えられてしまっています。

 

こうなると、ワーカホリックではなく仕事の奴隷みたいなもので、プライベートを考える余地すらなくなってきてしまうので危険信号もいいところ。

 

不幸があったんだ、休みくれて当たり前だろ?

と、不遜な態度みえみえで申し出るのは謙虚さが足りないというものですが、ある程度、認められた権利を主張するのも大事なんではないかと思います。

 

僕は、これなかなかできませんでした。

結婚式とかの誘いも、仕事優先で断ってしまうくらいに。

 

ただ、徐々にその癖を直していき、知人から送られてきた結婚式の招待状の出席に○を付けるくらいには成長しました。

 

仕事に対する考え方は、仕事内容よりも難しいものですね。

 

置き換えダイエットならぬ置き換え労働

 

つまるところ、僕は趣味を仕事にするのではなく、いつしか、仕事を趣味にしてやると思うようになっていました。

 

ここでのポイントは、「仕事が趣味だから」とぼやく無趣味の人を尊重しているのではないと言うこと。

 

仕事が趣味だから、ではありません。

仕事を趣味に、した。

というところが重要。

 

僕のブログは趣味について垂れ流しているので、無趣味ではないのはわかっていただけていると思います。

 

経験値を稼ぐために、仕事ですら趣味にしてやるよ! と、いう魂胆。

 

! を使用すると、相当な意気込みの下で仕事と戦ってきたのかと錯覚しそうですが、全然そんなことはなく、割かしユルく考えていました。

 

気づいたら趣味になっていたというか。

いらっしゃいませって言うの癖になってんだ、俺。というか。(地獄のミサワかよw)

 

仕事をするのが当たり前と据えて生活しているのが、世の社会人の通常思考です。

しかし、仕事に囚われるあまり金を稼ぐために社会へ一歩踏み出したのに、当初の目的はいつしかすり替えられてしまうのです。

 

すりつぶすことはできません。

どちらかと言えば、攪拌される、でしょうか。

 

だったら、すり替えられる前に、または、すり替えられても。

これは趣味の一部なんだ、と自分に言い聞かせるのが大切なんじゃないかと思いました。

 

趣味の一部ならば、肩の力が抜ける瞬間もやってくるはず。

 

その瞬間に価値がなく、現実逃避しているに過ぎず、負けてしまったとしても仕事に対しては勝っているのではないでしょうか。