伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

【仕事】感謝はしないけれど、働きます

働くと蠢く、初歩的思考回路

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本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。

 

今回は自身の備忘録もかねて、仕事に対する姿勢に関して書き連ねてみようかななどと考えております。

趣味での経験値稼ぎにも一役買ってくれる【仕事】

 

勤労感謝の日が、果たして勤労に感謝しているのか。

 

柔らかく、時に堅く、少し箸休め(この前もそんなこと言ってたなw)しようかなと。

 仕事は人生を歩んでいく上では、外すことのできないファクターです。

僕は高校1年生の頃にコンビニでアルバイトを始めたのを皮切りに、働いてお金を稼ぐ楽しみと辛さその他諸々を知り始めました。

 

社会人になるまでの間にバイトを辞めたことはなく、就職が決まって在学中から研修を兼ねて就職先へバイトに行くまで、一貫してコンビニでバイトをしていました。

勤労に対する意欲みたいなものの基礎は、この辺りで築かれたんだと思います。もちろん、趣味に金かけてもいいんだよ? の精神もw

 

たかがコンビニバイトと世論は抜かすでしょうが、給料が発生している以上は仕事です。

それに、老若男女問わず非常にバラエティに富んだFFⅨのキャラクター群ばりのお客様方が来店されるのでおもしろいの一言。

 

工場ラインから流れてくる部品には、時に粗悪品が混じっています。

だからお客さんはいい人ばかりではありません。

ショップだろうカフェだろう、八百屋だろうとお客さんは流れてきます。

そして去って行く。

 

買いたいものを買うためにレジにきて、精算。

罪の意識の精算が済んでいない人たちは、ここで日本銀行券という免罪符を使い、クレームをあたかも褒美のように与えてきます。

 

頼んでもいないのに。

 

でも、これはお客様と関わる仕事(たぶん、世の中の仕事はほぼお客さん相手です。患者だろうと取引先であろうと、相手からお金もらってます)をしているからには、当然も当然でマニュアルがあるならば第1項に記されていてもおかしくありません。

 

お客様にあーだこーだ言われるのが嫌なら、バイトも社会人もやっていけないでしょう。

働いていて鬱憤が溜まるのは当たり前なので、それをどうにかするのが自分に与えられた真の仕事のようなもの。

 

しかし、あのときの僕は違いました。

 

クレーマーズ・ハイ

 

忘れもしない出来事がありました。社会人になりたての頃の話です。

サービス業に従事していた当時(現在もジャンルはサービス業で労働中)、店にきた中年男性。

どこにでもいそうな男性でした。

 

当時はカフェで働いており、失礼ながらあまりカフェに来そうな方には見えませんでした。

顔は思い出せません。

 

しかし、この男性客の言動は忘れることはありませんでした。

コンビニバイトでサービスや接客、人と面と向かう商売の基礎を知った僕が、理不尽さの解釈方法とその基礎基準を学んだのが、このときでした。

 

その男性客は、突然席を立ち、カウンターに立つ僕に「なんで注意しねぇんだよ!」と怒鳴りつけました。

店内には赤ちゃんを連れて来店された、女性客がいらっしゃったんです。

赤ちゃんは、確かに少し前から、大泣きしていました。

我慢ならなかった男性客は僕にひとしきり怒鳴り、満足したのかコーヒーを飲み、何か捨て台詞を吐いて退店。

 

このときの僕は、あまりに幼く「バカじゃねぇのこの客? 赤ちゃんは泣くのが仕事なんだぞ」と思っていて、それが顔に出てしまったのでしょう。

本社にクレームがいき、後日、上司に注意をされました。

 

懐かしい(笑)

社会人なりたてなんて、所詮これくらいの思考しかできないから仕方ないのですが、浅慮でしたね。

 

お客さんのために働こうなんて都合のいい解釈で、自分の感情論を男性客に押し付けてるだけでした。

 

むろん、男性客に非がないとはいいづらいのも確かです。

 

あのとき僕に注意してきた男性客の言動は、赤ちゃんの母親にも届いています。

言うなれば、適切な判断ができなかったことで2人のお客様の気分を害してしまいました。

 

赤ちゃんを連れた女性客は、子の親。

彼女を晒し者にしてしまった責任は、あまりに重かったと猛省するのは何年か経過してからでした。

 

母親なら赤ちゃんをなだめる義務があるのも、1つの事実です。

カフェという特性上、静かにコーヒーブレイクしているお客様方も不快に思ってしまったかもしれません。

 

泣き声がうるさいなぁ……と感じた人は確かにいたことでしょう。

男性客が代弁者を名乗り出て、代わりに発言をかましたのかもしれない。

 

分析するにもキリがないので、喧嘩両成敗に基けばどちらも悪く、居心地のいい場を提供する側の僕が未然に騒動を防げなかったのが1番悪でしょう。

 

言い訳をさせてもらえば、あのときは責任者がおらず1人で店を回す指示が前もって下っていたので、緊張していたのかもしれません。

 

入社したての自分を店の臨時責任者として配置する采配もなかなかにすごいですが、今思えば試練だったのでしょうね。

 

勤労感謝の陽

 

仕事終わりに、あるいは休憩中にタバコを吸い、職場仲間とだべるひとときは、社会人になりたての僕にとって癒しでした。(タバコはもう6年くらい前には辞めましたが)

 

何か飲み物を飲んだりしたっていい。

とにかく、仕事が終わって店を出、「お疲れさまでしたー」という瞬間は、一種の解放感を超えてくるほどの快感です。

 

好きで就いた仕事だろうとなんだろうと、1日の締めくくりになるその瞬間は朝日が出ているわけでも夕陽が出ているわけでもないのに、たまりませんよね。

 

そういう瞬間に、反省などもってのほかだったに違いありません当時の僕には。

 

後悔と反省は、似て非なるものです。

 

しかし後悔も反省もする余裕がないのは、仕事始めのときなんて特にだと思います。

むしろ、余裕というより無意識に遠ざけているのではないでしょうか。

 

逆に言えば、そう。

遠ざけたり、まだ社会人になったばかりだしw……という甘めな思考になる余裕はあるのでしょう。

これは、僕の場合ですが。

 

何と言っても勤労の義務がある以上は、働かなければいけません。

でも別に義務があるから働いているわけではありませんよね?

 

必然的に働かざるを得ない状況に立たされているのが、より正鵠を射ている表現でしょうか。

 

生きていくために働く。

 

使い尽くされた言葉ですが、これは逃げだと思っています。

 

それはあくまで基礎点であって、極限点は遥か彼方に存在しています。

 

好きなことで生活するのは非常に困難なことですが、働く中で好きなことやモノを発見し、結果的に繋がれば万々歳。

 

それくらいのスタンスで仕事に対して考えていると、自然と遊びが見えてくると言うか、本物の余裕が出てきて、仕事が楽しくなってくるのではないでしょうか。

 

無理矢理好きになる必要はありません。

必要なのは、仕事という一種の社会現象に立ち向かう意思。

日本にはニートが五万といるらしいですが、人口からして労働者たちのほうが多いです。

これだけの人数が仕事するなんて、廃れることのない社会現象に他ならない。

流行なんて速攻で切り替わるというのに、仕事をしている人はいなくならないし、飽きることを許されません。

 

陽は毎日昇ります。

スランプグラフのような描き方はしません。

 

働くって、おもしろいですね。