伝説の経験値を求めて 

生き方はシンプルに、人生はアバウトに

通勤時間と幸福度はリンクします

肉の部位を変えるだけで別料理!

皆さん、おはようございます。今日は猫の日ですね。(以降、本文には猫は出てきません)

本日はいい朝を迎えられましたか?

僕はきっと、目覚めの悪いことでしょう。

 

何があったかといいますと——別に何もないですw

 

ただあれです、休日翌日の出勤は気が滅入るって奴ですね。

休日が充実していればしているほど、翌日は嫌になる。

 

今の仕事が心底嫌なわけではないのですが、そう、ここでなにがネックなのか探ってみた次第。

 

僕の僕による職業訓練。

 

まあ、通勤時間ですよねw

 

分析するまでもねー(^^)/

 

前のほうの記事で書いていたかもしれないんですが、昨年人事異動があって自宅からは遠くの部署へ配属になってしまったわけですよ。

 

そんでふと頭をある話がよぎりました。

5年くらい前に、職場のアルバイトの学生が話していたことです。

 

【通勤時間は人生の幸福度に大きく関わってくるみたいですよ】

 

何か世間話をしていた流れで何気なく話した内容だったと思うんですが、当時の僕は「まあ、そうだよねー」なんて軽く同意していていました。

 

ただ、現在一児の父となり働いているとこの言葉が、S君の言葉が非常に身に染みてくるわけです。

 

いやマジで。

マジで、通勤時間は短いほうよくないですか?

 

誰も通勤時間は長いほど幸福度が上がるなんて思いませんよね。

何も幸福度に限った話ではありません。

 

もはやシンプル。

家の隣に職場があったらさすがに面食らいますが、手頃な通勤時間で通えるならそれにこしたことはない。

 

職場についてからが仕事開始なのに、家を出る瞬間から就業開始みたいなもの。

 

実際、労災事故は通勤中にも適用されるので、厳密に言えば家を出てからが就業開始なのですが。

でもそれって、なんか負けた気がするんですよね。

家にいてまで仕事のことは考えたくないのに、さあ出勤だ! と、意気込みたくもないのに——就業開始時間まで構えなければいけない現実。

 

辺境の地に居住しているわけではないのに、1時間も1時間半もかけて職場へ向かう。

あー、大変w

 

もう慣れたと言えばそれまでなのですが、通勤時間の消費は幸福度やら人生の充実度の減算に使われているのが明確で、家でできる仕事が流行るのも納得。

 

フリーランスで仕事を請け負っている方が現在の世の中では増えてきているように思いますが、結局、人口で分布の多いのは所謂サラリーマン。

 

日本の道路は総延長で1,278,183.5 kmあるらしいです。

 

この道を一億数千人が毎日歩いたり、走ったり、自動車で移動したりしています。

朝の通勤ラッシュ、夜の帰宅ラッシュからもわかるように、出退勤の時間はかなりクロスします。

 

シフト制の仕事やフレックス、定時や自由出勤、在宅——などなどありますが、集中する時間帯は決まっています。

 

ですが、交通手段もまちまちで車の1時間と、公共交通機関の1時間では苦痛度が違いますよね。

僕は車通勤なんですが、公共交通機関に比べれば自由度が高いように見えますが、圧迫感はあります。

 

その最たる理由は、渋滞の二文字。

車社会の現代において渋滞は避けては通れない道ではありますが、いやな存在であることは間違いありません。

 

そうです、存在です。

 

渋滞は存在していると提言させていただきたいw

 

なんか狙ってくるんですよね。決まった時間に渋滞が発生するのがいい例で、台風とかみたいに移動してくる。

僕は異動しましたが、それにともなって渋滞も移動してきたといいますか。

 

なんだかわけわからない発言ですねw

 

そういったトラップもあり、直線ばかりではない日本の道路事情もあり、就業時間も迫ってくるっていう鉄壁具合。

 

一切合切そういったことを考えないで済む休日は、まさに神がくれた最高の休息。

 

そんな最高の休息を過ごした翌日に、上記のクソのような持論を当てはめながら出勤しなければならないから、もうそりゃあね。

 

嫌だよねっていう話で、冒頭に戻るわけです。

 

通勤時間でまだまだ書けそうですが、今回はここまでで。

共感してくださる方もいらっしゃるんじゃないかなーと思いながら、締めさせていただきます。

 

今回の記事も最近得意な予約投稿を使っていますので、書いているのは前日2023年2月21日(火)です。

 

書きためたいことがいろいろありますが、人間集中力は脆弱ですので終了ですw